人生には、「変容」と「変化」という2つの道があります。一見似ているようで、実は大きく異なるのです。
僕が、軽く生きられるようになったのは、自分自身が変容を遂げたから。
以前の僕は、この2つの違いに気づかないまま、ただただ自分を変えようともがいていました。
でも今は、この違いがわかるようになって、人生がずいぶん軽くなりました。
以前の僕は、意識を変えずに必死に自分を変化させようとしていました。頑張れば頑張るほど、なぜか辛くなっていったのです。
変化とは – 頑張って行動を変えようとすること
変化というのは、例えば「毎朝早く起きよう」とか「運動を習慣化しよう」とか、そういう具体的な行動を変えることなんです。それ自体は悪くないのですが、、、
こういう変化を必死に追い求めていました。
変わらないといけないと、自分で自分にダメ出ししながら、変わらなきゃってやっていました。
だから、頑張れば頑張るほど、なぜか重たくなっていくんです。
「やらなければ」という気持ちが強くなればなるほど、心が疲れていきました。
変容とは – 意識が変わることで世界が変わること
一方、変容は違うのです。
変容とは、意識が変わること。もしくは、視点が変わること、という感じです。
意識や視点が変わった瞬間、世界の見え方が一変する。
周りの人や自分自身との繋がり方が根本から変わるんです。
意識が変わった瞬間、世界の見え方が一変しました。
変わるというより、見え方が変わる(視座が高くなると言ってもいいかな)ので、結果、変わっていく感じ。
周りの人や自分自身との繋がり方が根本から変わったのです。
意識が変わると、世界や周りの人や、自分自身との繋がる姿勢(Being)が変わったことで、
そう、意識の変容によって、世界が変わるのです。
世界が変わると、今まで必死にしがみついていた価値観の呪縛に気づくことができ、その呪縛から解放される勇気が湧いてきました。
軽やかに生きるためには、この気づきと手放しが肝心なのです。
なぜ変化だけじゃダメなのか
変化だけを追い求めると、自分の価値観の檻に閉じ込められたまま、大切な気づきを得ることなく人生を終えてしまうかもしれません。
僕自身、変化を追い求めて疲れ果てた経験があります。なので、変化だけを追い求めて、うまくいく人もおられるかもです、それはそれでいいのです。でも、変化を追い求めて疲れたり燃え尽きたり、そうなったら、変化を追いかけるループから一旦、離れる勇気が必要と感じています。
でも、変容の道を選べば、気づきを感じ、手放す勇気を思い出すことができるのです。
実体験からの変容のプロセスは?
私自身が感じた変容のプロセスはどうだった?と尋ねられることが多くあります。
ただし、変容は瞬間にバッと起きる感じでなく、「あーーー」と起きる感じです。
変容の瞬間だったなぁと、後から気づく感じです。
3つほど紹介すると、
まず1つ目は、双極性障害の病気についてです。
病気を治さないとダメだ、でも、この病気は治らないし、、と思って、病気である自分はダメと思っていました。治療に向き合う中、ある時に、ふっと思ったのです。
「この病気は、僕のキャラクターみたいなもの、それをダメと言っていたら、自分自身をダメと言っていることだなぁ」
「だったら、この病気と仲良く一生 一緒にやっていこう」そう思ったら、その後、スーーと双極性障害の症状が消えちゃって、、そして、薬を飲むことなく安定した気分の日がやってきました。
2つ目は、「全部、自分のセイだ」という思い込み(ビリーフ)に気づいて、その思い込みが外れた時に、「それって自分のセイじゃなかった」と感じれました。
その瞬間は、涙が溢れてきました。そして、徐々に周りの人との関係性が変わっていきました。
前は、全部、お前のセイだっと、世界に、周りの人に、責任を押し付けていたなぁと感じます。
3つ目は、宮古島のリトリートにて聖地 ”なべ底” の体験を終えた後、道を歩いている時に、「あっ、今までは、ずーと背中から押される怖さが、からだに染み付いていたんだなぁ」「そうやって身構えていたことに今、気づいている」「そして、今は、身構えずに歩いても大丈夫と感じている」そういう感覚が湧き上がってきました。
「今の僕は、大人で、何かあっても対応できる力がある」と自分を信じている感覚、と同時に、からだを緩めた感覚があった。この体験から、なんだかわからないうちに、柔軟に対応できる感じになったなぁと。
変容への第一歩を踏み出すために
さぁ、あなたはどちらの道を歩みますか?
変容の道の先には、きっと軽やかに生きる喜びが待っているはず。
その一歩を、今日踏み出してみませんか。
Keep it real. 軽く生きよう〜