「どうせ奪われる存在だ」の思い込み(ビリーフ)に縛られていないを感じたエピソードとABC理論

僕は、

「どうせ奪われる存在だ」という思い込み・囚われがあった。

この思い込み・囚われに縛られずに振り回されずに、過ごせているなぁというエピソードを感じた。

“どう捉えるか”で感じ方や行動は違ってくる

思い込み・囚われは、ビリーフとも言われていて、

ビリーフは、現実に起きことに対して、解釈が「それ本当?」と確認することなく、あたかも、それが当たり前と、自分がオートマティックに解釈し、そして、行動したり・感情の渦の中に飲み込まれる。

現実の出来事が同じであっても、人によって「どう捉えるか」により、感じ方や行動は違ってくる。この「どう捉えるか」の価値観や信念が、思い込み・囚われ(ビリーフ)。

ABC理論

アメリカの臨床心理学者 アルバート・エリスは、これをABC理論とまとめた。

  • Activating events アクティベィティング イベント(直訳は きっかけになった出来事 -> 出来事)
  • Belief ビリーフ (信念、認知)
  • Consequences コンセクウェンス (結果)

頭文字を並べて ABC理論。

僕自身、双極性障害の治療の中で、認知行動療法は大切なアプローチで、ここの基礎となっているのが、この理論。

ビリーフに縛られていると、勝手に自分で被害者ポジションになる

さて、じゃ、実際に僕がビリーフに囚われていると、どう反応するのか、、をお話しすると、、

ビリーフに縛られていると、現実に起きたことに対して、反応的で攻撃的に対応することがある。

今朝、僕の現実に何が起きたのか?

「Macのデスクトップに置いていたファイルが全部消えた」という現実が起きた。

原因は、デスクトップが散らかってしまうので、あらかじめルールを設定したら、ファイルを自動で処理するアプリを使っていたけど、そのアプリの設定ミスでファイルが消えた。消えたファイルの復活はできなった。

そして、ここからが本題で、

「どうせ奪われる」ビリーフに囚われていた僕だと、、

悲しさと憤りの感情を感じる暇もなく、「やっぱりこうやって、自分は奪われる人間なのだ」と、勝手に被害者を決め込んで、しかも、僕の場合は、「奪われるぐらいなら、自分で先に壊してしまえば、奪われない」という厄介な防衛方法を取っちゃうので、何の罪もないMacに八つ当たりしたり、関係ないのに周囲の人に不機嫌な空気をばら撒いたり、、ファイルが消えたことに振り回されていたなぁと。

していただろう、、

やっちゃったと深刻にならずに済む

でも、今朝は違った。

まずは、なんで?消えたの?となったけど、消えたんだったら仕方ないよね、と、消えたことをしっかり受け止めて、悲しい気持ちも感じ、そのあと、さらにファイルが消えたら困るので原因は?は?と探して、原因が見つかったら、復元できないことも受け止めて、まぁ、絶対に必要なものでもないし、と、ファイルが消えたことに振り回されずに、「やっちゃったな(笑)」と軽い気持ちで、受け止めていた。深刻になっていない感じ。まぁ、ファイルが消えたのは久しぶりにやらかしたので、ショックだけど、悲しいけど、深刻になる選択を自分がやっていない。

出来事は変わらないし一緒なのに行動や感情の結果が違う

どちらも事実は

「Macのデスクトップに置いていたファイル全部消えた」は、変わらない。

ビリーフに縛られてようが、囚われていようが、そうでなかろうが、

ファイルが消えたことは変わらない。

でも、ビリーフに縛られていて囚われていた過去の自分だったら、今日1日がすごく重く、周囲の人にとって迷惑な行動をやったり、今日、進めないといけない作業を進めずに、荒れ狂いながら、Macを使っていただろう(笑)

どんなビリーフがあるのか紐解くことが、軽く生きていく道につながる

いやー、軽く生きるヒントと、このブログのタイトルなんだけど、本当に、囚われていないから、深刻にならないことを自分で選んで人生のマスを進めていく感じ。自分の中にどんなビリーフがあるのか紐解くことが、軽く生きていく道につながっているなぁと感じた。

Keep it real. 軽く生きよう~

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