心の学びをしてきて良かったなぁと、感じることがある。
それは、
休みの日に、
心から、
休めるようになった。
昔の僕は、これができなかった。
会社員時代なんて特に酷かった。
休んでいても、どこかで仕事のことを考えている、ワクワクしてやっているなら良いかもしれないけれど、
仕事のことを考えていない自分が、なんだかわからないけど、怖かった。
多分、価値がない自分になるのが怖くて、会社や組織や社会から置いていかれて、居場所がなくなるのが怖かった。
自分の中で、休んでる間にも世界は動いていて、自分は、置いていかれると言う感覚があった。
私が何もしなければ、人は置いていく。
この信念(ビリーフ)を私は固く信じていた。
いや信じていたと言うよりも、当たり前だと思っていた。
どこか記憶にないぐらいの幼い時に、これを学んだ体験があった。
母親が「お兄ちゃんだから、ちゃんとしなさい、置いていくわよ」の言葉、
何度も、母から言われていた。
もちろん、母親は、僕を痛めつけるつもりで言ってはいない。むしろ、逆で、愛があるからの言葉だったと思う。
でも、幼い僕は理解できず、自分なりの解釈を作った。
「やっぱりそうだ」という体験を重ねて、「私が何もしなければ、人は置いていく」信念(ビリーフ)を強化させてきた。
例えば、小学校で塾に行って勉強しなかったら成績が悪くなり、下のクラスに移動する、中学入試、大学受験や、社会人になってからの会社での体験、そして双極性障害の精神疾患から回復のプロセス、全ての体験で、このビリーフを、「あー、やっぱりそうなんだ」と、いうふうに感じてきてた。
LPLを受講してから、このビリーフに気づけた。(昔の僕は、そもそも、そんなビリーフが自分の中で動いているなんて、気づいていない)
「それは本当ですか」
「それは本当に本当ですか」
と、問い直しができた。
そのおかげで、このビリーフが無くなるのでなく、そういう時もあるよねーと緩んできた。
ビリーフと向き合うと、そのビリーフは無くならなければいけないという、また別の信念が出てくる。僕もそうだった。でも、無くならない。どんなに無くそうとしても、無くならない。
そのビリーフを持っているのは、今までの人生にはとても必要だったものだから。
逆に、このビリーフがあるから、ストイックに行動する自分も居る。双極性障害が完治できた理由の中の一つにもなるだろう。
無くすのではなくて、「そーゆー側面もあるけれど、一方で、有っても、無くても大丈夫だよねー」という感覚。
僕は、そうなって来て、楽だなーと気づいた。
そもそも、働くために、生まれてきたんじゃないよね。
と思うし
リラックスして呼吸している自分も素敵だなと感じている。
Keep it real. 軽く生きよう~