「僕はぞんざいに扱われる」ビリーフに気づいた

2025年1月4日 大阪へ飛行機で移動する朝、ゆったりと準備しながら、朝風呂に入っていたとき

なんでかわからないけど、頭にお湯をかけている、ザーッというお湯の音で、

「僕はぞんざいに扱われること、なんか多かったなぁ」というおもいが、頭に降ってきた。

例えば、と、書きかけていて、具体的な出来事はあんまり思い出せない、いや、あるのだけど

なんか、言葉になりにくい感じ、でも、からだはぞんざいに扱われることへ、常に備えていて

ぞんざいに扱われないために、すごーーーーく、頑張ってきた感覚があるし

だから、ぞんざいに扱われると、怒りが湧き上がってくるし、ぞんざいに扱われることはあってはいけないし、ならない、と、思っているんだなぁと、

あああ、そのために、すごーーーく頑張ってきた

ほんとうに頑張ってきたなぁ

このビリーフがあるおかげで

コンサルタントとして、ご相談やご依頼に丁寧に対応することもできたし、

カウンセラーでも、丁寧に真摯に時間を共に過ごせたし、

いっぱい頑張れた、それはそうだけど

実は、相手の人も「ぞんざいに扱われている人だ」とレッテルや決めつけているわけで、だからこそ、丁寧に対応しなきゃと、ややこしいエネルギーでやりとりしていて

このビリーフから学べたこと得られたこと、たくさんあったけど

逆に、ぞんざいに扱われると思うからぞんざいに扱われないように、構えて肩に力入っているし、疲れるし、お金がなくなるとぞんざいに扱われると、お金の不安にも飛び火するし、恋愛関係もぞんざいに扱わないよね?という自分勝手な駆け引きをしていて相手と一緒にいないし、あ、、、

だから、双極性障害 発症したときに、「ぞんざいに扱われる自分」を嫌というほど、見せつけられたわけで。

あと、人だけでなく、Macとかが、壊れたりすると、すごーーく怒りの感情が出てきたりしていたのも、Macからも僕はぞんざいに扱われている、と感じるからなんだなぁと。

双極性障害のときの苦しさやしんどさ、そして、世界から転落した感覚、それに再び、ならないように、という怖さが土台にあるのは、なんでだろうと、正月 落ち着いて時間が取れる時に、感じていたんだけど

その土台の土台に

「僕はぞんざいに扱われる」

これかーっという感じ。

お風呂から上がって、バスタオルでカラダを拭いて、服を着た後、アレ?となって、この思い込みのビリーフの言葉が、思い出せなくなって

えーーと、「無碍に扱われる」だったけ?あれ?

と、なっていたら

「ぞんざいに扱われる」だーっと、なって

忘れないように、iPhoneを取り出して、顔認証でホーム画面を開き、メモアプリを立ち上げて、ビリーフのメモ欄に

「僕はぞんざいに扱われる」と、書こうとするとフリック入力で画面をなぞる指が動きにくい感じだし、そのあと、文字を書いたら、背中が軽くなる感じもあって、あああ、これは、思考よりからだに入っているビリーフな思い込みだなぁと。

ちなみに、ビリーフのメモには、こんな感じのビリーフの言葉も書いてある。

「僕はぞんざいに扱われる」

「僕は大切な人を養うことができない」
「僕は大切な人を守ることができない」
「自分はトップに立てない存在だ」
「自分はコツコツできないヤツだ」
「私は必要とされていない」
「僕は1番になり続けなければならない」
「空気を読まないと嫌われる」

なんか、これらのビリーフの1つ下のレイヤー(層)にある思い込みな感覚。

セルフだけど、バイロンケイティ ワークをやってみると、

「僕はぞんざいに扱われる存在だ」 がしっくり感があって

それは本当ですか?
→ 思考はそんなことない、からだは怯えている感じ

その考えが絶対に本当と言い切れますか?
→ いや、絶対ではない、と書いていると、胸の辺りがザワザワと暖かさが混ざっている感覚、本当は、絶対じゃないことも、からだは知っている感じ

この考えがあるとき、どう反応して、何が起きますか?
→ 激しい怒り、だけど、パワフルなエネルギーも感じる、世界は全て敵とジャッジしている、肩から背中に力と緊張が走る、表情が固くなる感じ、肩に力が入っている、ソワソワしてすぐに反応しないといけない感じ

その考えがなければ、どうなりますか?
→ なにを支えにしていけばいいのかわからない感じ、自分の存在がぽっかりと開く感じ、自分がわからなくなる感じ、でも、とはいえ、

と、今、移動中に書いていて、羽田空港の第一ターミナルのお気に入りのお蕎麦の店に来たんだけど、

出汁が売りのお店で、お冷と出汁がはじめに出てくるのだけど、

スタッフさん 僕には出汁を出し忘れていて、カウンターの席で横に並んだお客さんを見ると、みんな、出汁の入った白い焼き物の椀が出てるのだけど、僕だけ無いわけで、寂しい気持ちとか、いろいろな感情の種が僕の中にあるのを感じつつ

いやーそう来ましたか!と

いま、「僕はぞんざいに扱われる存在だ」を感じている途中なわけで、そのタイミングでこうやって、まさにぞんざいに扱われているとも言えるけど、スタッフさんは忙しくて単に忘れているだけなんで、ぞんざいに扱っているわけじゃないんだけども。

もっと感じていくと、人よりも、世界にぞんざいに扱われる感覚があるなぁと。

ひょっとすると、過去生か記憶だけ引き継いでいるのかわからないけど、道端で平伏している自分、そして、みんなから石を投げつけられているイメージが出てくるですよねー。

さて、置き換えると、

内容を反対にすると
「僕はぞんざいに扱われる存在だ」 なので、反対にすると丁寧と、、

「僕は丁寧に扱われる存在だ」
なぜなら、そもそも都内の一等地で8年暮らしていて、それは世界から丁寧に扱ってもらっている感じがあるから

2つ目に、双極性障害の治療専念の時期に、父親からも母親からも、弟からも丁寧に丁寧に扱ってもらった、本当に感謝です

3つ目に、仕事でも、お客様に恵まれていて、長い期間のお付き合いをいただいていて、丁寧に関わっていただけている

4つ目に、11年前の初めての講座を開催したときに、丁寧にみなさんから関わってもらっている

5つ目に、一緒に会社を経営しているさゆりさんからは、僕は本当に丁寧に扱ってもらっている事実がある。それ以外も、丁寧に扱ってもらっている事実がたくさんあることに気づいた、

置き換えの主語の入れ替えは、

「⚪︎⚪︎はぞんざいに扱われる存在だ」 と、決めつけというより、そうでしょという感じで接している自分がいる。

例えば、先ほどのさゆりさんに対して、話を聴いているようで聴いていない感じは、これなんだなぁと。

親に対しても、あなたもぞんざいに扱っていいでしょ、なぜなら、僕がぞんざいに扱われているし、と、適当な感じで接している点がたくさんあるなぁと。

そして、ぞんざいに扱われているでしょうから、逆に変に丁寧に接している自分もいるなぁと。(もっと生々しいところもあるけど、ブログなので、そこはちょっと隠させてね)

置き換えの全部自分にすると、、

「僕は僕自身にぞんざいに扱われる存在だ」

これもやってる、、僕が僕自身に対しては、大切にしていないし、もっと頑張らないとぞんざいに扱われるぞ!と厳しく鞭を打っていて、それ自体が、僕自身をぞんざいに扱っている、あと、いまでこそ自分の感覚を信じれるようになっているけど、前は、自分の感覚より周囲の人の反応から行動を決めていて、それも、自分自身に対して、ぞんざいに扱っているなぁと。

どちらでもいいの置き換えは、、、

僕はぞんざいに扱われる存在でも、そうでなく丁寧に扱われる存在でも、どちらでもいい

今、こうやって文章で書いてみると、ぞんざいとかいうレベルより、ぐっと上がった層に自分がいる感覚で、こだわって執着していたの感じていて、背中の緊張が緩む感覚があったので、今後は、肩に力が入っている、背中の緊張感があるかどうかをシグナルとして、自分自身で感じていくように、そう感じていて、そう感じると、自分自身をぞんざいとか丁寧とかでなく、自然体で自分を大切に扱っている感じだなぁと。

どちらでもいい、なぜならば

そもそも「ぞんざい」と決めているのは、僕が勝手に決めているから、僕自身が選択できるはずなのに、それを選択できないと思い込んでいるだけだから

周囲から世界からぞんざいに扱われたと思っていても、ましてや、丁寧に扱われたとしても、僕の存在は何も変わらない、ぞんざいかどうかで、自分自身の存在と尊厳が変化するということ自体、思考が作り出した幻のだから

もし、僕をぞんざいに扱う人や世界があったとしても、やらしておけばいい、僕は僕自身を大切にしているから、ほっておけばいい

あ、ほっておくが、いい意味でもできない感じがあるのが、ここかーーっと。

ほっておけばいいんだよね、相手から求められた時は、それに対して、そのときそのとき、僕は対応する力あるし。

いま、もう一度

「僕はぞんざいに扱われる存在だ」 の文字を見て感じると、

「ぞんざいに扱われる」から、自分自身が距離を取れている感じ、あとは、じんわりじんわりな気がするので、ゆっくり自分の中の感覚を感じて行こうと、そんな感覚。

この思い込み気づいた自分自身が素晴らしいと感じています。

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