( 写真は、2019年に父親と和解したときの1枚 )
「尽くさないと、今逃したら、この後がない」というビリーフ(思い込み)が、僕の中にあったと感じていると、
あっ、と気づいたのが、
これ、父親も同じものを持っていたんだ、、と。
小学校 6年生の時、僕にはすご〜くすご〜く嫌な思い出がある。
それは、父親から「勉強しろ」と言われて、勉強机の横に父親が立っていて、図工の工作で作ったワニのカスタネット(カスタネットと言っても、長さ20cmぐらいある感じで、結構気に入ってたのだけど)そのワニのカスタネットで、僕をどつきながら(叩きながら)勉強させられた。
これを今、文章に書いているだけで、背中はモゾモゾ、肩と腕には緊張感、お腹もソワソワした感覚があって、それぐらい嫌な思い出だった。
まあ、そのおかげ?なのか、勉強が嫌いになった。勉強は嫌いだけど、自分が興味を持ったこと、つまり勉強でなく、学ぶことは好きで、その流れで、博士課程まで学びの道を歩いたし、今も、心理学の学びの道を歩いている。
博士課程は、中退して、途中で投げ出してしまったけど。
そもそも、中学入試に、合格できた訳だけど、父親が求めるレベルの中学に入れなかった、という申し訳なさ(罪悪感)もあって、、
そのワニのカスタネットで殴られながら、勉強していた、本当は、その時に「なんで殴るんだよっ」と言い返したかったのだけど、できなかった、そんなトラウマ。
数年前に、ゲシュタルト療法のエンプティチェア講座を受講したときに、講座のデモセッションで、自分と父親のワークを行い、上でお話ししたトラウマを扱った。
ワークするのは怖かったけど、このトラウマをずっと抱えて生きるのも辛かった。
なぜなら、父親は父性、その父親が怖いと思っていることで、世界や社会も怖い(何かあったら自分が傷つけられる)と思っている自分に気づき出していて、そんな自分と向き合おうと思ったタイミングだった。
エンプティチェアのワークで、自分と父親との両方の椅子を感じていくと、父親の椅子ではめちゃめゃちゃ焦っている感覚を感じた。
その感覚を父の椅子に座って、感じ続けると、(勝手に)出てきたセリフが「今、俺がコイツの勉強に立ち会わないと、俺には時間がない」だった。
父親は、22歳の時に、彼の父親(僕からみると祖父)が亡くなっていて、大人でどう過ごせば良いのか、教えて欲しいと思った時に、居なかった。
その感覚が父を覆っていて、だから、今、勉強させ、今、教えられること、伝えることは伝えないと、と、なっている構造が、エンプティチェアのワークから感じることができた。
そうすると、それまでは、僕の中では、父が殴るのは自分が何かわからないけど足りてないから、もしくは、何かダメだからだ、と解釈していたのだけど、
エンプティチェアのワークを通して感じたら、父が殴るのは、父の中で勝手になんか一人相撲で焦っていて、僕には関係なく、父と祖父の関係のトバッチリを食らっていた、と感じた。
いい迷惑だ。
と、自分の中で、偏った理解の思い込みがあったと気づいた(ゲシュタルト療法での、図と地の反転)ワークだった。
初めの話に戻ると、
「尽くさないと、今逃したら、この後がない」というビリーフが自分にあったと気づいて、このエンプティチェアのワークを思い出して、
あああああー
と崩れ落ちた。
一緒、丸っと一緒。
居なくなったのが、父親は彼の父親。
僕は、居なくなったのは僕の子供たち2人。
その構造すら一緒。
「尽くさないと、今逃したら、この後がない」この思い込み(ビリーフ)を持っていると、焦るし、変に力むし、僕自身が体験したように、トバッチリで周りの人を傷つけちゃうわけで、この思い込みを思えば思うほど、余計に、この後がないってなるし。
誰も幸せにならないし、自分自身も、接した相手も存在否定して苦しくなる思い込み。
それが一緒だったと気づいたことで、この連鎖の鎖に気づいたことで、そのループから抜け出せたなぁと感じている。
すると、
僕が、息子2人と別れたのは辛かったし、今でもツライけど、この別れがあったから、この連鎖の鎖に気づく、心理学への道を歩き始めたわけだから。
悲しかったり辛かったりしても、その出来事の奥には、ギフトがあるんだなぁと。そして、どんなことがあっても、大いなる存在からの愛の量は変わらずに、与えられているのだなぁと感じる。
Keep it real. 軽く生きよう~