「周りの人を理解できる大人になりなさい」
母親から言われ続けた言葉。
“理解する”を頭でわかること、と、どこかで僕は学んだ、おそらく受験競争の中で。
頭でわかろうとすれば、するほど、自分の思い込みの枠組み(心理学の言葉でビリーフと言います)の世界で、見てしまうのだけども、そんな仕組みは、知らないので、その自分の思い込みの世界で、周りの人や相手を理解していく。
頭で理解すればするほど、「わかった」と思い込んでいくループに入るので、自分の思い込みの世界を疑わない。
そして、その思い込み(ビリーフ)前提で、周りの人や世界と繋がっていく、ある意味、繋がってないのだけど。
思い込み(ビリーフ)が悪いのではない。自分が嫌な”おもい”や、2度と体験したくない避けたいことを再びやってしまわないように、思い込み(ビリーフ)は、僕を守ってくれている。ただし、過剰に。
思い込み(ビリーフ)は、小さな子供のときに学び身につけ、自分=無力な存在 の前提になってることが多い。
大人になるというのは、自分の生きる力を信頼し、自分の足で立つこと。
ところが、無力前提の思い込み(ビリーフ)で、世界や周りの人との関係になる。
そこで、大切なのが、自己理解•探求の道を歩くこと。
自分がわかると、思い込み(ビリーフ)を介して相手や他人と関係を作っている自分が見えてくる。例えると、色眼鏡をかけている自分に気づかないと、色眼鏡で相手を見ていることに気づかない。
自己理解ができて、はじめて、色眼鏡なしの本当の周りの人や相手を見ることができる。他者理解ができる。
最近、本当の自分がわからない、というお声をよくきく。それは、逆に色眼鏡をかけている、、、?、私?と、気づきの一歩だ。
自己理解と他者理解ができて、相互理解がはじめて生まれる。
テクニックや、フレームワークを使ったりしても、
色眼鏡(思い込み•ビリーフ)に気づいてないと、相互理解にたどり着けない。
本来は、みんな、僕もあなたも、相互理解したい。
でも、できない、と悲しくなったりしているのは、色眼鏡に気づく、電話のベルが鳴っている。
その電話をとって、いきなり相互理解できる?と思ったら、自己理解の道を歩く必要がある。
だから、僕は自己理解の心理学を学び、研鑽している。
自分をわかりたい、もちろん、それもある、そして、その先に、周りの人がわかること、これは、思考でなく、からだの感覚での安心感を伴って。
その流れから、お互いにわかる世界に自分が繋がっていく。
Keep it real. 軽く生きよう~