(2023-04-25に公開した記事を再編集してアップしています)
岡部あけみちゃん、清水友邦さん•チャコさん、コラボ、ワークショップ「呼吸道」3days 岡山 WaRa倶楽無に参加しました。
極上の体験でした。思考が身体を支配していたことに気づいた3日間でした。
ヘロヘロになったし、ある意味、死んだし、死んでも、生きていたし、
苦しくても、夜は明ける
そんな、
体験でした。
思考で、カラダを支配、していた、と気づいた瞬間、どっと疲れが出てきて、
と、共に、カラダが軽やかに。階段を上がる感覚が変わっていました。
今までは、「階段を上がっていかないと」と頭が先に動いていたのですが、ワークの後は、「階段を一つづつ上がっている身体がある」という感覚に変わりました。
呼吸していると、
出てきたのは、
父、そして、僕が生まれる前に亡くなった祖父の感覚。戦後、満州から2年かけて、大阪に帰ったら、復興が”すでに”進んでいる。
という、感覚でした。
「そのままじゃだめな存在だ」
と、からだの奥にしまい込んで、絶対に誰にも見せないようにしてきた思い込みが、浮上してきました。
今までは、この思い込みを乗り越えないと、、と力が入っていましたが、
今回は、違いました。
呼吸しながら、自分のその思い込みを見ていると、自然と溶けていく感覚。
思い込みが、まー、あるよね。うん。あってもいいよねー。
と、俯瞰している自分の存在も、感じていました。
2回目のワークのときは、「借りたものは、返さないといけない(うけとったままでは、ダメな存在だ)」と、またまた、思い込みが浮上してきました。
すると、2回目だから、「あー、もう、思い込みが出てきても、怖くない。」と、
思い、そして、思った瞬間、「あ、もらったまま、うけとったままになっている事実」がある。
ということに、気づき、
笑うような感覚に包まれました。
自分の存在を見てなかったのは自分。
そして、ワークを通じて、
自分の存在は、大きな循環で、消えない存在。
お腹の辺りの暖かさを感じました。これは、LPL13期 最終講義の最終日に感じた感覚と同じような感覚。
また、去年から、「何もしない」が、キーワードとして、出てきていましたが、
Doingの何もしないのでなく、Beingの何もしない。
というのに、繋がった感覚。
そして、岡山駅へ向かう、特急 やくも の車窓から、
新緑が燃える山の景色を見ていて
ふと、
iPhoneのメッセージを見ると、
継続サポートのクライアントさんが、「初セミナー開催、大成功しました」と、嬉しい知らせが届いていて、自分の感覚と世界は繋がっている、と感じる3日間でした。