人間関係 「自分が必要とされる」ことに執着していたことに気づくと、軽くなった

『ライフ・レッスン』 第3章 人間関係のレッスン を読んで感じたこと。

人間関係は切れないように人間関係は保つようにするべきだ、この考えを大切に生きてきた自分に気づいた。

この第3章に書かれている下の言葉を感じたときに、ハッとした。

’ 死を敗北とみてしまうように、わたしたちは永続しなかった関係を敗北とみてしまいがちだ。’ ’ たがいに相手を必要としなくなったとき、関係は完結し、かつ成功したのだ’

出会いがあれば、別れもある。

言葉では知っていたが、僕は「自分が必要とされない」 と思うと恐怖を感じていた。からだの筋肉が強張るぐらい、怖い。

本を読みながら、その怖さを感じると、3歳ぐらいの自分が育った家の居間に自分が座っている景色が見える。

畳の居間には、こたつテーブルが置いてあり、天井には蛍光灯が白く光っている、この六畳の居間の先には細長い台所への入り口があり、そこに母親が立って何か準備、おそらく食事の準備をしている景色が思い出された。

この景色を思い出すと、台所にいる母親と僕に繋がりがあるはずなのに、僕自身が繋がっているのか不安になっている感覚に気づいた。

その感覚をさらに感じていくと、

「あっ」という感触に出会った。

台所で食事の段取りをしている母親自身も「自分が必要とされない」感覚に恐怖を感じているのが伝ってきた。

それを、幼い自分はそのままキャッチしていたのだなぁと。

自分の中に、人が離れていく感覚を避けようとしていること、そして、「自分が必要とされる」ことに執着していること、に気づいた。

人間関係が永遠に続くように、こだわっていた。

人と別れが起きないように、関係性が変わることが起きないように、こだわってきたが、始まりがあれば、終わりがある。

続いても、続かなくても人間関係だ。

そう感じると、今まで続かなかったり途切れてしまったり、関係性が変わった人間関係に対して、僕が感じていた罪悪感が消えていくのを今、感じている。

Keep it real. 軽く生きよう~

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