『ライフ・レッスン』 第2章 愛のレッスン を読んで感じたこと。
愛とは何か?
僕は、わかっていなかったことに気づいた。
これまでの僕は、自分の行為の結果によって、愛が得られると信じていた。
これは、子供(幼少期)の僕と母親の関係性から、僕が勝手に誤解して学んだ「愛」の概念だ。
「愛することは、相手のために何ができるのか?」を追いかけ、頑張っている自分であれば「愛を渡している」と思い込み、相手のために自分が何か行動やアクションを行うから、愛を受け取れると思い込んでいた。
愛ってそういうものなの?
それって本当にそうなの?
と、自分に尋ねることもなく、そういうものだと思い込んでいた。
小さな(3歳ぐらい)の僕は、母親の愛が欲しかった。
もしかしたら、心理学を学んだ今、振り返ると、母親も愛を勘違いしていたのかもしれない。いや、母親も愛を知らなかったのかもしれない。
母親からの愛を手にするためにはどうしたら良いか?を常に考えている、ちいさな、けなげな僕。
僕の結婚がうまくいかなかったのは、僕が、何か行為や行動の代償として愛を受け取ろうとしたからかもしれない。
今、自分の人生の道のりを振り返ると、愛のレッスンだった。
行為や代償や、厳しい条件などなく、僕はそのままで、いつも母親からの愛を受けていたのに、それに気づかずに、愛をもらおうとしていた。
行動や行為、つまり母親と取引して報酬を貰おうとしていたわけ。
でも、その取引は不要だと気づいた。
僕は、何もしなくても愛を与えてもらっていた。そして、僕もそれを受け取れる。そもそも、この世にオギャオギャと生まれるちょっと前、母親のお腹の中で、僕は何かをしたり行動したから、母に守られていた?
それは違う。
僕は何もしなくても存在として、母親のお腹の中で、母親から愛を与えてもらって、大きくなって生まれてきた。
やっとそれに気づけた。
私の存在に「愛を感じるよ」と、伝えてもらったとき、はじめは、受け取って良いのか?ドキドキしたが、受け取ってみたら心地よかった。
そう、あなたの存在から、愛を受け取っているし、僕も僕の存在から愛を渡している。お互いに。
ライフレッスンの中にこんな言葉があった。
’ その人がただその人であることだけによって生まれる愛を望んでいる’ ’ 人生で経験する愛のほとんどには、とても厳しい条件がつけられている’ ’ 経験してきたのは愛でなく報酬である’
Keep it real. 軽く生きよう~