(2023-09-28に公開した記事を再編集してアップしています)
・朝のワークショップで引いたカードは「愛」自分の中の愛を自分自身が以前は受け取ってなかったが、最近、その愛を受け取っていることを感じる。
・ワークショップのワークを行う中で、豊かさの循環のイメージ、その循環の中に自分がいる、今、それを感じていると、右目からスーッと涙が出てきた。同時に、12年前には「どうか、健康だったら、他は何も入りません」と願い、そして、それが叶ったら、不安に駆られている自分が滑稽に思えた。ゼロからここまでやってきたんだから、何を不安としているのか?
・なべ底に行く前に、自分の中の探求が「お金と愛と自己評価の循環をブロックを外す」と定まった。
午後からは、島でハーブ園を営むガイドさんの案内で、通り池の奥へ、サンゴで出来たトゲトゲで崖に近いルートで、聖地 ”なべ底” に。生まれ変わりの儀式へ。
(聖地なので、ガイドしてもらわないと、行けない場所です)
産道を通り、羊水へ。泳ぐのが苦手なので、ライフジャケットを着ているので、大丈夫なのだが、身を委ねつつも、はじめは、首の力が抜けない。
耳に水が入る怖さを感じ、ただ感じて、ただ身を委ね(サレンダー)て、こころを開き、ここに受け入れてもらえたことを感謝し、力を抜き、身を委ねることができた。
身を委ねていると、水に浸かった耳から聞こえるのは、静寂。
そして、しばらくすると、心臓の鼓動する音。
こころが今、ココにある、を感じていたら、
ばー〜〜っと、イメージが、腕の筋肉あたりから出てきた。
それは、小学校4年生の夏、カブスカウトで大学のプールで水泳訓練の時に、僕は溺れた。
プールサイドで、深そうだな、、と、水面を見ていた。大学のプールで、1.8m か、2m ぐらいの深さがあるプール。
深すぎるので、プールのところどころに、オレンジの土台が沈んでいて、そこだけは浅くなっていて、みんなはそのポイントのあたりのプールに入っていたが、
僕はどこがそのポイントなのか、探していたのか、(よく覚えていない)
その時、どんと背中を押されて、プールに落ちた。パニックだった。
結局、引き上げられて、溺れかけで済んだが、怖かった。
この時のイメージが出てきた。今も、書いていて、からだが強張る感じがある。
そう、この体験から、
僕の中に、「いつ何時、後ろから蹴落とされるかもしれない、蹴落とされたら、死ぬ」という感覚が、からだの奥深くに根づいた、、か、、
そうか、そうだったのか、、と、浮かびながら、感じていた。
それは、怖かった、そう、怖かった、こんな怖いおもいは二度としたくない、
だから、プールでなくても、ただ歩いている時でも、いつでも、
「いつ何時、蹴落とされるかも、と、からだが常に非常事態宣言で”身構えて”生きてきたんだ、あ、、、、あー、、と、その非常事態宣言はしんどいし、緊張しているし、でも、死ぬことよりはマシ、とやっていたのか、だから、双極性障害というメッセージだったのか、と」
でも、今の僕は、大人で、何かあっても対応できる力があるし、蹴落とされても、助けてと言えるし、実際、その時も助けてもらっているから、今、生きているんだし、双極性障害の時も、たくさん助けてもらった、今なら、対抗する力もある、なので、起きてもないことに、備えている人生だったのか、と思うと、
約40年ぐらいの人生、もったいなかった、と笑えてきた。このもったいなかった、という感覚は、ローマ字入力を20年やった後に、親指シフトで文字を書くようになった時に感じた感覚と似ていて、本当に人生、もったいないなぁと、いう感じ。
この身構えて生きている感覚が、お金と愛と自己評価の循環を止めているブロックだと、気づき、
その気づきに、感謝で心を満たして、この羊水と言われる なべ底 の海水に、もう一度、感謝しつつ身を委ねた。
まさに生まれ変わりの体験だった。
気がつけば、40分強 海水に浮かんでいた。
そして、バスが止まっている駐車場に戻る道で、僕のからだに余分な身構える力が入っているのを感じて、からだを緩めた感覚があったのが嬉しい。
しっかり、この緩んでいる感覚をからだで感じて、元々は自分の中にあったことを思い出せる時間だった。
本当に、来てよかった。
そして、今のタイミングで呼ばれた気がする。
そう感じている。