のんびりと休息ができるようになった。
以前は、休んでいても、何か頑張ったから、休んで良いと、自分に対して取引や条件付けして許可していた感じだった。
そして、双極性障害になった頃は、休んでいることは、動けないことであり、逆につらいし、休まされていると被害者意識だった。
でも、今は、これらの感覚でなく、
ただ、のんびりとしたいので、のんびり過ごしている。
何かの条件から自分に許可することもなく、休まされていると被害者意識になることもなく、なので、休んでいる自分への罪悪感もない。
ずーと休んでいることに、罪悪感を持っていた。
理由は、色々と思うところもあるけど、なんか、わからないけど、休むと罪悪感があった。
多分、最近になって見つかったビリーフ
「尽くさないと、今逃したら、この後がない」
が、この罪悪感の根っこの一つかなと感じている。
このビリーフは、自分の中では、当たり前すぎて、全く気づけていなかった(このビリーフが見つかったエピソードは、別の機械に書くかな?)のだけども、さゆりさんが、僕を観察していて気づいた。
そう、自分では当たり前すぎるところに、ビリーフが潜んでいて、自分自身ではなかなか気づけない。
なぜなら、自分の中の当たり前だから。
でも、その当たり前の思い込み(ビリーフ)で、自分の人生に何が起きているのか?気づくことで、心が軽くなり、人生のなんでだろう?の部分が紐解く。
僕の場合は、「今逃したら、この後がない」と思っているので、今、ゆっくりするなんて、御法度だ。しかも、後からもありえない、と思っている。
ある意味、一生懸命に今を過ごすのだけど、人間、ずーと緊張し続けているなんて出来ない、出来ないことにチャレンジし続けて、あー出来なかった、、と自分を責める。
そして、疲れ果てたから、休まざるを得ない、、と休むループ。
まさに、そんな生き方だったと気づいた。
でも、今逃しても、逃さなくても、なんというか、大きな流れ、例えば、川の流れは、いつか同じ流れになるように、人生も向かう方向に向かっていくし、どんな風になっても、自分が歩く力を信じていれば、立ち止まってもいいし、疲れる前に、休みたいなら、休んでもいい。
そう、自分で全部選択できる。
心がわかれば、人生がわかり、かるく生きれる。
Keep it real. 軽く生きよう〜