うまく表現できないのだけど、なんというか、いい感じでした。
と、今、僕がこの講座に参加して「今までの学びと繋がって良かった」とタイトルに書いたのだけど、それをどう良かったのか、と書き出しで表現しようとしたら、
1行目なんですよね。それでも良いんだよね、その奥にある体験はそう簡単に言葉にならない。
そこをしっかり聴いて、自問自答の時間を大切に、寄り添っていくのがフォーカシングなんだなぁと、今までは、何かテクニック的なところがフォーカシングだと思って(勘違い)していたのだけど、そうでなく、在り方なんだなぁと。
フォーカシングの言葉は使ってないけど、LPLにてあけみちゃんからエッセンスは伝えてもらっていて、たくさん体験していたから、この講座の中で繋がっていく感じがあって、嬉しい時間でした。
あと、カウンセラーだからこそクライアント体験が大切、これを改めて感じる時間に。
ワークにて、傾聴してもらって、
「お父さん、すごく頑張っておられた人ですね」と
フィードバックの言葉をもらって、頭は「絶対受け入れられないし、嫌」と言うけど、
凄ーくハートが暖かくなる感覚を感じる時間に、涙が出ました
自分の中に両方あっていいし、感覚で感じていいと、感覚を超えた、言葉にならない感覚、それを信頼できている自分が嬉しい、そんな感覚を感じれました。
プロカウンセラーの活動を重ねていく中、なんだか「技を使って、相手の方の心を動かそう」としていた自分にも気づき、「ああ、そうじゃない、勝手に相手の方の中で、何かが起きるのを信頼して、ある意味テキトーに軽く、でも、その人の体験している感覚と共に一緒にいる」その在り方を体験できたなぁと、これが、文頭の「なんだかいい感じ」なのかもしれない。
講座のタイトル「相手の心を動かす話の聴き方」も多分逆説的なんだなぁと。「相手の心が動くのを共に感じる聴き方」という感じ。
フォーカシングは、ユージン・ジェンドリンによるもので、池見先生は直接 ユージンに学ばれた方。
Experience
を大切にしているのが伝わってきました。Experienceは感情も含めるけど、感情ほどはっきりしていないもの という言葉を聴いて、ああそうなんだ、と。
Experienceを聴く=日本語だと追体験 と。カウンセリングの特殊なことでなく、ドラマや映画や本を読んでいても追体験はしている、まさにそれ。
講座の中で、池見先生が、追体験を感じる内容をふんだんに織り込んでおられて、感覚で腹落ちしました。
僕の傾聴の癖?で、クローズクエスチョン(YESですかNOですか)がちょっと多いなぁと気づけて、「もっと話してください」とオープンクエスチョン(講座ではオープンリード という言葉)なあり方を増やそうと気づきました。オープンクエスチョンで聴いているところもあるのだけど、もっと場を信頼して、オープンにプロセスと共に、そういう感覚です。
講座の中でメモにした言葉
- こころ(体験)は自然と動くもの
- 話し手の体験(気持ちも含む)を追体験で一緒にいる
- こころのことは話し手の本人が一番知っている
- 話すことは矛盾はある、話の内容は変化する
- 話し手の人生を一番知っているのは本人
- 「今、何か浮かんでますか」と尋ねたり
- 「今、話しかけたら邪魔になりますか」
- 「僕が聴いていると違う感じなんだけど違う言葉だとどんな感じですか」
- 「いろいろなかなしさがあると感じるので、どんなかなしさですか」
まーはやい話、今までの僕は、
「なんと言うか、えーと、なんだろうな、かなしいという感じかな」と話し手さんが言うと、それをなんとか理解して尋ねて、言葉で同定しようとしていたのだけど、
それを手放して、「あーどんな感じなんでしょうね」と、わからない中に一緒に飛び込んでいく「なんだろう、なんというのかな」を大切に、そんな気づきがありました。
傾聴にて「〜かな」「という感じ」を大切に。
そして、今、この文章を書いていて、パッと思い出したのが、行徳哲男先生から「君はもっと愚かになりなさい」との言葉と共にいただいた「愚」の書
そんな時間でした。
写真は、ランチで出会ったハンバーグ、おいしかった。
和bistro 粋
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そして、自宅から歩いて15分のところが会場で楽に学べる環境に感謝だなぁと。アメリカとか海外に行かなくても、直接学べて体験できて幸せだなぁ。
とここまで書いて、出てきたのが
僕は、わかることで、母親や父親に振り向いて欲しかった、ということ。
学校の成績が良ければ、振り向いてくれる、学校のテストで成績を良くするには、わかること、コンテキストを先読みすることだった。
そして、会社員でも適当な言葉だと、しっかりと表現しろと怒られて、わかることで居場所を守ってきた。
それを手放していいし、だいぶ手放してきた、そして、さらに手放そう。