昨日は2025年2月9日
11年前 雪の積もる渋谷の歩道を歩いて、初めてのワークショップな1日
あの日終えて、部屋の電気を切った瞬間を覚えています。あの時から、ずーとご縁が続いていてありがとうございます。あれから、知らなかったというのもあるのだけれど、講座は自主開催。
頑張ってきた。
いままで、2月9日は、「創業日なのだから、何かしないと」と思っていたけど、今年はのんびり過ごしてみた。(とはいえ、近々、新しいサービスを出す予定で、いま、作業を進めていたりして、それを頑張って昨日に詰め込まなくてもいいよね)とそんな感じ。
「何かしないと」の「と」の後ろにどんな言葉があるのかと感じてみたら
何かしないと「世界から落っことされる」
という感じなんだなぁ。
あー
そうだよね、35歳のときに、双極性障害の診断が出たときに、ガラガラと足元から崩れ落ちて世界から落とされて真っ暗なところに行った感じだった、だから、そうならないように、頑張ってきた、必死に。
というか、
寂しかったんだよなぁ
ひとりぼっちになるのが
寂しくて、
頑張ってきたんだよなぁ
そして、LPLで学んできて、そこにとどまると
あーー
と、気づいたのが
おそらく、母のお腹で、記憶はないけど、
聞いていた、母の言葉
親父の通夜の晩に、母と話していたら
逆子だったらしい
で、帝王切開で生まれたんだけど
母が、希望する産院を伝えた?ら?
祖母からお金が、かかるとか言われたらしく
で、母が「じゃ、産みません」って言ったらしい
いや、
ちょ、やめてよ
産まないって言わんといて
なんとか、頑張ろう、という感覚
それと、お金への執着
なんか、ここが繋がってくるだよなぁ
書いてても、ドキドキする
でも、いま、僕はここに居るし
結局、なんかわからんけど、人生、どんぶらこっこと、ここにたどり着いて
大阪生まれ、鳥取経由で、東京のど真ん中に住んでる
人生、どうなるか、自分を超えた何か
あるんだろうなぁ、
以前の自分は
全て自分でコントロールできると思っていた
傲慢だよね
そしたら、自分自身が、自分をコントロールできない
双極性障害になった
そこでも、病気をコントロールしてやろうとしていた
でも、しんどくてコントロールでない
制御不可能
大暴れしたり
飛び出したり
いろいろやらかした
で、
病気へのコントロールを手放したら
病気 完治しちゃたんですよね
なので、昨日も
なんかしないとーというコントロールから離れてみて
距離を開けて過ごしてみた1日だったし、ゆっくりすごした。海水温熱に行って疲れもリフレッシュ。夜には、さゆりさんと、11年お疲れ様との時間も。そんな感じ。